テーマ3 過去の有明海の長期環境変動の推定

速水祐一・大串浩一郎・濱田孝治・手塚公裕・白木喜章・山口創一

本研究は,有明海における環境の長期変化,少なくとも1980~2000年代の経年変化について,諫早湾締切の影響を含め,その実態と原因を明らかにすることを目的としている.海域環境の変化としては、流れ・成層強度の変化,透明度上昇,赤潮の増加,貧酸素水塊の発生,底質の細粒化に注目し,数値シミュレーションとデータ解析によって解明を進める.有明海は陸域の影響を強く受ける半閉鎖性海域であることから,海洋環境の長期変遷の解明のためには,陸域負荷の変遷についても明らかにしてゆくことが不可欠である.そこで,我々は,陸域からの流入量,負荷量の推定およびモデル化を進めながら,同時に海域における環境変化の原因の検討および有明海生態系シミュレーションモデルの開発を進め,最終的に,陸域負荷モデルと有明海生態系シミュレーションモデルを統合的に用いることで,有明海の環境の長期変遷の検討をしていきたいと考えている.以下,本年度における主な成果を,陸域と海域のそれぞれに分けて記す.


1.陸域研究

河川の流域には,潮汐の影響を受けない順流域と潮汐の影響を受ける感潮域がある.これらは負荷の流出特性が異なるため,陸域の長期環境変化に関する研究を順流域と感潮域を分けて進めた.本年度における主な成果は下記の通りである.

(1)順流域

有明海の環境に影響を及ぼすと考えられる流入水量の長期変化を把握することを目的とし,①有明海の主要な流入河川(順流域末端)の時間流量データの収集,整理,②流出解析に用いる各河川流域の時間雨量データの収集,整理,③欠測時間流量データの補間フローの開発,を行った.今後は開発したフローに従って欠測データの補間を行い,有明海の流入水量,負荷量の長期変化の解析を進める.

(2)感潮域

有明海感潮域の一部(筑後川下流域等)には,用排水路と貯水機能を有するクリークと呼ばれる水域がある.水田,クリーク地帯は特有の水利用形態を持つため,感潮域からの流入水量,負荷量を把握するためには,この地帯の水収支,物質収支の特性を把握する必要がある.そこで,水田,クリークの現地調査を行い,経年的な水質変化と水収支,物質収支を明らかにした.また,降雨時には水田からの流出水量,負荷量は共に大きくなる可能性が高いため,降雨時を対象とした現地調査も実施した.その結果,施肥の影響や水田における降雨の負荷流出特性を把握することができた.今後は本年度の成果をもとに,水田,クリーク地帯の原単位を作成し,感潮域の長期環境変化の解析を進める.

図1.有明海の流域と流入河川
図1.有明海の流域と流入河川

2.海域研究

有明海の環境の長期変化については,これまで3つの異なった方法でアプローチされてきた.
1つは既存の定期観測データの解析である.ただし,過去の調査は限られている.例えば,浅海定線調査は,1970年代から毎月得られてきた貴重なデータであるが,大潮満潮時しかない.有明海奥部の貧酸素水塊については,小潮時に発達し,大潮時には解消されることが多い.したがって,過去から現在に至る貧酸素水塊の変遷を推定するには工夫が必要である.
2つめのアプローチは,底泥コアの解析である.海底の泥の柱状コアには,深い部分ほど過去に堆積した物質が含まれている.柱状コアを薄く輪切りにし,各層中のプランクトンの休眠胞子や化学物質濃度を調べることで,過去の有明海の環境を推定することが出来る.すなわち,底泥コア中には過去の有明海の長期変化の記録が残されている.
3つめのアプローチは,数値モデルである.有明海の現在の環境変動を再現できる数値シミュレーションモデルを作る.このモデルに対して,過去の地形や潮汐,陸からの負荷量等を与えて計算することによって,過去の有明海の環境を推定することが出来る.

本年度は特に富栄養化と貧酸素化に着目し,これまでに有明海奥部で行われてきた様々な底泥コア調査結果のレビューを行い,それと,データ解析,数値モデルによる検討結果と比較することにより,過去30年程度の間に,この海がどのように変化してきたと言えるのか,現時点までの総合的な評価を試みた.なお,本研究は,NPO法人有明海再生機構干潟分科会の取り組みの一環として行ったことを付記する.
有明海湾奥部から諫早湾にかけての堆積速度の分布について,複数の底泥コアの解析結果と数値シミュレーション結果を比較してみると,湾奥部における分布については定性的な一致が見られた.ただし,諫早湾内については,堆積というセンスは合うのだが,量的にモデルの方がかなり過小評価となっていた.
続いて堆積物の質的変化について比較した.比較するにあたっては,シミュレーションで計算された堆積量について,炭素・窒素及びリンのSSに対する比を用いた.まず諫早湾では,数値シミュレーションで得られた堆積物炭素SS比,窒素SS比は,1930年代から1977年まではそれほど大きく変化していないが,1977年から80年代,90年代にかけて大きく増えた.その後,諫早湾の締め切り以降にさらに大きく増えた.一方で,底泥コアの解析結果から得られた従属栄養性・独立栄養性鞭毛藻類シストの比からは,1970年代頃から富栄養化が進んできたことが示唆されている.したがって,モデルの結果と底泥コアの解析結果は整合的である.次に有明海奥部の少し沖合浅海域について検討した.この海域においても,数値シミュレーションで得られた堆積物炭素SS比,窒素SS比は,1970年代から80年代にかけて増えている.底泥コアの解析結果も近年の富栄養化を示している.底泥コア中の有機炭素濃度分布からは,20~30年前ぐらいから有機炭素濃度が増えてきたことを示しており,モデルの結果と整合的である.最後に広大な干潟を含む有明海最奥部について検討した.この海域では,数値シミュレーションで得られた堆積物炭素SS比,窒素SS比は1930年代から現在までほとんど変化していない.一方で,底泥コアの分析結果は,この海域の中でも場所によって非常に大きく異なった結果となっていた.これは,干潟域では空間的な堆積環境の違いが場所によって大きく異なっており,空間解像度が大きな数値モデルの結果とは比較が困難であることを示している.
有明海奥部浅海域については,底泥コアとモデルの結果の比較に加え,データ解析の結果を合わせて比較した.佐賀県有明水産振興センターが実施してきた7月の浅海定線調査データを用い,成層強度との関係を用いて長期的な貧酸素ポテンシャルの変化を調べると,1970年代から1980年代にかけて貧酸素化が進み,特に1980年代半ばの低下が激しく,近年になって多少回復という結果が得られている.こうした長期変化はCODの変動とも一致し,CODは1980年代に大きく上昇していた.このような変動パターンは,数値シミュレーションの結果とよく一致する.すなわち,底泥コアの解析,数値モデルによる予測,データ解析という3つの異なったアプローチの結果が,いずれも1970~80年代の急激な富栄養化進行とそれにともなった貧酸素化(ポテンシャル)の進行というものを表していた.
上記の数値シミュレーションは,民間会社に委託して実施されたものである.そこで,我々はさらに自由にシミュレーション・解析を行えるように,自ら有明海生態系シミュレーションモデルの開発を進めている.ベースになっているものは,FVCOMをベースにして佐賀大学有明海総合研究有明海総合研究プロジェクトで開発してきたモデルである.本年度は,シミュレーションにかかる時間を短縮するための並列計算化およびその確認を行った.有明海を模しながら単純化した理想地形を用いて,モデルの挙動を確認しながら,これまでモデルに組み込んでいなかった二枚貝を組み込むなど,モデルの改善を行った.モデルのコンパートメント模式図を下記に示す.現状では,干潟の取り扱いなどまだ問題点があるが,来年度前半には実用レベルにすることができると考えている.

図2.生態系モデルの概要
図2.生態系モデルの概要