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■前低平地研究会会長 宮崎善吾氏のご功績を讃えて
宮崎善吾 前低平地研究会会長
宮崎善吾 前低平地研究会会長のご逝去を悼む

低平地研究会
会長 権藤 幸彦

 平成15年6月11日、宮崎会長の体調不良をお聞きして以来、その回復もままならぬことばかり耳にしていましたが、誠に残念ながら平成18年12月13日ご逝去の報に接し、それなりの覚悟はしていたものの全身から力が抜ける感じで、正に人生の儚さを真っ向から投げつけられた思いでした。

 研究会の仲間内で、大切な先輩、惜しい人材を亡くしたと嘆くうち、宮崎前会長の低平地研究会発足から運営迄、その成果を称えて追悼の文を起こし、末永く記を残そうと思い拙文は承知の上で現会長の故をもってペンを取りました。

 低平地研究会会長としての宮崎氏を想う時、どうしても佐賀県庁時代に遡らざるを得ませんが、県庁時代副知事迄務められた宮崎さんには県政全般に亘って政り事を司られ多くの成果を挙げられています。此々では低平地、特に水に関した想い出から書きたいと思います。

 氏の県庁時代における水問題は、農業用水確保の問題、有明海大型締切り、ノリ養殖に関しての河川流水と塩分濃度の問題、筑後大堰の問題、県内治水及び利水上の問題、佐賀平野を中心とした水路網の整備と流水の確保、等々。

 今振り返ってみると、此の様に多くの問題があり、氏はその一つひとつに本当に昼夜を問わず真剣に取り組まれたものでした。

 今思うと宮崎さん流の情報収集の手段、また県庁という組織の中では発言出来ないことも聞き参考としたいとのことからと思いますが、私的集まりとして「アトリエ会」というグループがありました。宮崎さんを中心として、最後は出納長迄務められた古藤浩氏、現在宮崎氏の意志を継いで佐賀市水対策市民会議の会長をお務めの占部義弘さん、県庁の三羽ガラスと言われながらも病で後半悲運に見舞われた田中義海さん等々当時の県庁の頭脳の集まりと思う程の人々でした。県の将来を描くという意味もあって、「アトリエ会」と命名された集まりでした。この様な雰囲気から自然発生的に宮崎学校という空気が出来たものと思っています。

 ご葬儀のときも佐賀県知事始め幾人からもその功績を称える弔辞がありましたので、各論に対しての宮崎さんの思考、行動については触れませんが、企画の仕事が多かったためでしょう、仕事は佐賀県のみにとどまらず、特に九州規模のお考えが多かったと思います。九州地方開発、筑後川水系開発等々、今思うと当時如何に大問題が多く、氏はよくそれに立ち向かわれ、一つひとつ解決されたものだと改めて氏の功績の多さ偉大さを偲ぶものであります。

 紙面も多くなりますが、宮崎さんのご指導で、我々の低平地研究会も今日の陽を見ています。ここに宮崎さんを想いながら研究会のこれまでを整理してみたいと存じます。発足が平成5年11月1日でした。以来、平成14年3月迄5期9ヶ年に亘って会長を務めて頂いています。会長就任以来、国、県、市町村に対し低平地への関心を説得され県民の視線を低平地に向けてもらい、その対応、対処、利用についてご指導頂き今更ながら氏の功績を思うものであります。

 現在、低平地研究会は水、地盤、経済、歴史、暮らしと文化、地域デザインの6部会、法人会員53機関、個人会員108名にまで拡がり、佐賀の地に定着しております。氏のご尽力の賜に外なりません。

 意を尽くせませんが最後にこれからも宮崎さんの意を汲んで会員一同多面に亘り低平地の問題に取り組み、県民生活環境の向上に成果を挙げたいと思います。

合掌

平成19年1月

(低平地研究,No.16,p.3,2007.より抜粋)

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